俺と文鳥とビワ


先日、彼女と家の近所を歩いていたら、どこか聴いたことある言語が聞こえてきた。「スワヒリ語」である。すれ違った女性2人がスワヒリ語で会話していたのだった。

アフリカ系の人々がすべてがスワヒリ語を話すと思ったら大間違いで、東アフリカのケニア、タンザニア、エチオピアの公用語であって、アフリカ全土の言葉ではないのだ。

あんまり嬉しかったので、その女性二人に話しかけてしまった。

「こんにちわ?」俺

「こんにちわw」女性

「久しぶりにスワヒリ語聞いたんで話しかけちゃいました。」俺

「ああそう珍しいわね。」女性

なんて感じで会話が進み、JICAに今来ていることとか、いろいろ話をした。スワヒリ語を覚えていた自分にも驚いたが、自分が普段使うことのない能力を使える機会があるというのは本当に嬉しい話である。

「あのちょっと伺いたいんですけど、あそこに果物なってるでしょ、あれおいしいわよね」女性

と女性は、近所の家になっているビワを指差した。

「欲しいんだけど、食べたら駄目かしら?」女性

「いや人ん家の奴だから駄目だと思いますよ。」俺

「そう残念ね」女性

わざわざアフリカから日本に来たのだから、そこの家の人に話して、ビワくらい食べさせてあげればよかったよ。
悪いことしたな。


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俺と文鳥と鳥

先日、昔、アフリカに行った友達と話をしていて思い出した。

「スワヒリ語で鳥も、飛行機も同じ単語なんだよね」

そうかそういえば同じ「ndege」って単語だった。

まあ、本当にどうでもいいことなんだが、ケニアの青い空を思い出した。

のんびりした国だったなあ。

ポレポレ」という言葉がスワヒリ語にある。ゆっくりゆっくりという意味。ケニア人はよく使う。最近、忙しいから思うのだろう。

俺が好きなHIPHOPも元はアフリカなんだよなあ、とふと思った。

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俺とアフリカと、、、感謝。


以前からことのblogでは書いていることなのだが。

大学4年間、東アフリカの公用語であるスワヒリ語を勉強していた。

アフリカにも何度か行き、ずいぶんといい経験をさせてもらった。

そんな、、、俺。


アフリカに対してなん恩返しもできなかった、という後悔。

何かできないか、、、


卒業の時、教授に、、、

「君みたいなのが、アフリカから離れてしまうのは惜しいなあ」

といわれたとき、何もいえなかった俺。


そんな後悔、とも自責の念ともいえない思いがいつも心にあった。

その答えがこれなのか分からないが

フォスタープランというをやろうと思っている。


まあ簡単に言うと募金なんだが、その地域の子供から手紙が来たりして楽しそうだ。

スワヒリ語の勉強にもなるし。

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俺とアフリカとポレポレ


俺はここ1年、生活に手間をかけるようにしている。

ご飯を食べるのにも、作るところから時間をかけゆっくり食べる。

体を洗うのも、ちょっとゆっくりしっかり洗って、お風呂でゆっくり雑誌を読む。

どうも東京に来てからの3年間、ちょっとでも時間を無駄にしないように生きてきたような気がする。

そんなにまできりつめた時間で何かできたかというと、全く持って思い出せない。


俺が勉強していたアフリカではこんな言葉がある。

「ポレポレ」

これはスワヒリ語で「ゆっくり」と意味。ケニア人はやたらこの単語を使う。

どおりでなのか、ケニアではゆっくり時間が流れる。


確かに、飯を食べるにも水を汲みに行かないといけないし。

火をおこさないといけないとなると、飯を食うだけでなかなか大変だ。


就職活動でリクナビで仕事を探す時に、今の仕事かアフリカ関係の仕事のどちらか就きたいと考えた。

結果、受かった今の仕事についている。

「たとえ、やっているいろいろなことがどうしようもなく、無駄になってしまっても、その時はアフリカにでも行けばいいや」

という楽天的な気持ちが常に俺の中にある。

本当に行っても、きちんと生活できんと思うが、、、希望としてのアフリカなのだ。


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俺と心の旅 アフリカ編 8-31

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俺がアフリカでホームステイをしていた家の写真がこれだ。

ケニアの随分と山奥にある。

上記の写真が、建物の概観。

下記の写真が、俺が寝ていた納屋である。


朝起きると、納屋の天井には、30センチくらいのとかげかヤモリか分からないものがたくさんはりついていた。

夜はオイルランプしかなく、暗かったので気づかなかったのだ。

暗くてよかった。

詳細は過去記事である

「ケニアに住もう」を参照のこと

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俺と心の旅 アフリカ編 2004-8-25

2004-8-25.jpg

ボーナスでスキャナーを買ったので、昔の旅の写真や絵なんかをアップしようかと思う。

「俺ブン、、いつまでも過去なんか振り返ってるんじゃねえよ」

そんな声も聞こえてくる。今という時間ももちろん大事にしている。

しかし時間が経って見えてくる尊いものもあるはずだ。


そんな訳で第一弾はアフリカでホームステイをしたときの写真。


街からバスで三時間、自転車2人乗りで二時間、その後1時間自転車を押して歩いた
時の途中の写真。

赤茶けた大地のはるかかなたにホームステイ先の村があった。

画面右下の男の子は、外国人を見たことがなく、しかもめがねも見たことがなかった。

「その目にかけているやつは、目がよく見えるようになるのか?貸してくれ」

とひたすらついて来た。

もう5年くらい前の写真だ。

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俺とアフリカの星

もう随分昔、俺がアフリカのケニアのナクルという小さな町に行ったときの話。

近所の小学校の前で、コーラを飲んでいると向こうの小学生の女の子が二人こっちを見ている。

俺はそのときちょうど折り紙を持っていたので教えることにした。

俺は自分で折れる数少ない折り紙、手裏剣の作り方を教えた。

日本のきれいな紙は、アフリカでは珍しい。

外人がいきなりやってきて、折り紙を教えるということで最初はびびっていた二人も

だんだんとなついてきた。

「これはなあ手裏剣っていう、日本の伝統的な武器なんだ」

と説明するが、その当時は俺はスワヒリ語が下手で、しかも英語も通じず

仕方ないので日本語で話しかけていた。

手裏剣が完成すると

「NYOTA!!」

と彼女らが嬉しそうに叫んだ。「NYOTA」といえばスワヒリ語で確か「蛇」って意味。
なんなんだ一体、どこをどう取ったら蛇なんだと思った。

その後、大学の寮に帰って辞書を引くと、俺が勘違いしていたことが判明。
へびは「NYOKA」で

NYOTAは星だった。

星か、、、形にてるもんな。忍者って言っても分からんよな。
少しでもセンスを疑った、俺を許してくれ、ケニアのちびっ子たちよ。
そう思った。

ロマンチックinケニヤ

そんな事を思った。

次の日、異文化コミュニケーションを楽しんだ俺に、衝撃が襲った。

「俺ブンが小学校の前で、変なことをしていた。」

という怪情報が、寮の日本人の間で広まったのだ。

「村社会、、、」

寮の隅っこでそうつぶやいた。

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俺とアフリカフェスタ

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先日、日比谷公園で行われた「アフリカフェスタ2004」に行った。

当日は雨が振ったりやんだり、実はそれほど楽しみにしていなかった。
どうせ、たいしたことないんだろう。本当のアフリカに比べたら日比谷公園なんて小さなものだ。
なんて事を思ってた。

間違っていた。

アフリカフェスタに行って、スワヒリ語でたわいもない話をすると4年間学んださまざまな知識の渦があふれ出し俺を襲った。すっかり忘れていたスワヒリ語も思い出した。そのとき日比谷公園はまさにアフリカだったのだ。響くJEMBE(アフリカの太鼓)のビート、ビビットなカラーのカンガ(アフリカ人がよく巻いている布)。そうすべての人類はアフリカで生まれたのだ、俺は帰ってきた。

そんな事を思いながら異様なテンションで2,500円も出して買ったアフリカの絵がこれだ。
多分、ケニアのpepoかshatani(妖怪とかおばけ)を描いたものだと思われるが、明らかに変な顔をしている。
どうして俺はこんなものを買ってしまったのか、、、

きっとアフリカの妖怪が俺にそうさせたのだ、まだまだアフリカは深い。

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俺とアフリカフェスタ

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ケニアに住もう。

このサイトをご覧になっている皆様は、ケニアでホームステイをしたことがあるだろうか。

俺はある。

ケニアの首都ナイロビから電車で2時間、その後バスで2時間、その後自転車で1時間、その後、道が土砂に流されていたので、自転車を押して30分の所にホームステイ先があった。場所はまさに秘境といった感じの趣。見たことのない植物が群生していた。そんな赤土の谷間にその村はあった。

大家族だったので、何人いたか忘れたが結構な人数の人たちが親切に私を出迎えてくれた。まず村の名所を案内してくれた。大ねずみが住んでいる滝、岩山、掘っ立て小屋みたいな教会などである。

日本から来た、若者を迎え入れるべくその日はご馳走が振舞われた。昼間家の周りにいた鶏を一匹絞めて、僕に振舞ってくれた。ちなみにケニアでは鶏肉が一番高価である。
鶏の肉とご飯をいためた食べ物、ウガリと呼ばれるとうもろこしの粉を練ったもの、鳥のスープなどなど。
彼らはおなか一杯食べさせないと、お客をもてなしたこととならないと考えていて、たらふく食べさせられた。

その日の晩は、脱穀機のある小屋にベットらしきものを設けてもらいそこで寝た。
夜中に部屋の中でがさがさ音がするので、目を覚ますと晩御飯で食べた鶏の同僚達が恨めしそうに寝ていた。もともと彼らの寝床だったのだ。

ごめんねお前達、おいしかったよ。と心でつぶやきながら寝た。

ちなみに朝目を覚ますと、30cmくらいのトカゲが天井に3匹も張り付いていた。

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